2011年の3月11日。
蔵前のある会社の最上階、7Fに僕はいました。
会社説明会の真っ最中。
あまりの揺れにその場にいた人々は皆、訓練でした体験した事のない、机の下に隠れるという動作をとりました。
説明会はもちろん中断。
再度揺れがあった時のため、全員7Fから階段で地上に降りました。
ビル前にて軽いアナウンスの後、解散。
数時間後には大手町にて他社の選考も控えていたため、とりあえず南へ歩く事にした。
夜には楽しみなパーティーも控えていた。
マチを歩きながら人々と情報交換をした結果、これはかなり大きな震災であるという事を知った。
そして震源は東北であるということ。
浅草橋の駅に着いた時には、JRという事もあり駅前は多くの人が溢れていた。
浅草橋のバーガーキングは店頭で「みなさん落ち着いて下さい!」という呼びかけと共に、店員総出でホットコーヒーを配っていた。
浅草橋の駅前で数十分待機したものの、JRが復帰する気配がなく、尚かつ更に大きな地震がまた来るのではと思ったのだろうか、僕は浅草に向かって歩き出していた。
人の少ないところで一度落ち着きたいと思い、隅田川河川敷に向かうと、津波の恐れから進入が禁止されていた。
この時、携帯電話における通信機能はほぼシャットされていて、僕はツイッターで情報を収集していた。
浅草寺の境内に到着し、石垣の上に腰掛け一人ぼーっとする。
少し先にはスカイツリーもぼーっとそびえ立っていた。
一人宛もなく彷徨い歩く僕に、浅草橋で働く先輩が救いの手を差し伸べてくれた。
僕は早歩きで先輩の会社のビルへ向かった。
朝から就職活動だったため、とにかく知人に会って話したいと思った。
水元で働く父が車で迎えにきてくれるまでその会社にいさせてもらえる事になった。
社内に泊まると決めた社員の人たちは宴会気分で非常に楽しそうにしていた。
僕も発泡酒を一本ご馳走になった気がする。
父親が水元の職場から浅草橋に到着したのは恐らく20時手前であった。
どの道路も恐ろしいほどの渋滞で、歩道も徒歩帰宅者で溢れていた。
父親ともろくに連絡をとれない状況下で、蔵前通りで父親の車を発見したのはわりかし奇跡。
父の車に乗ってから初めてテレビを見、東北を凄まじい津波が襲った事、そして多くの死者が出ている事を知った。
水元からわざわざ迎えにきてもらってしまい非常に申し訳なかった僕は、コンビニを見かける度に父の夕飯を購入しようと試みるが、一切の食品が売り切れという状況。
挙げ句、飲料水さえも手に入らない。
信号待ちや渋滞を利用しながら数件のコンビニに走り、やっとみつけたのがコロッケだった。
男二人、車内で四角いコロッケを頬張った。
次に頭をよぎったのは妹の事。
あんな大きな地震があって次また地震があるかわからない状況で、耐震性の無い家で一人で過ごす妹を思うと一刻も早く家に帰りたかった。
父の車が我が家に到着したのはなんと26時。
僕を浅草橋まで迎えに来たがためのその時刻。
まず6時間もの間、文句一つ言わず安全運転で家まで帰してくれた父に感謝の気持ちでいっぱいだった。
片付けの行き届いていない我が家で居間で深夜2時、まず家族全員揃うことができた事にとても安心し、幸せを実感した。
そして2012年の3月11日。
THEラブ人間のワンマンライブに行ってきました。
ズボラでチケットを買う事をすっかり忘れていたわけですが、先輩をおかげで入場する事ができました。
きちんとライブを拝見するのは初めてでしたが、もう素晴らしくて素晴らしくて。
感極まりの波が何度も打ち寄せてきましたとさ。
そういえば昨年の震災後、自粛自粛で人々から娯楽が奪われていた時、THEラブ人間はいち早く新曲を演奏したビデオをアップしていましたね。
2011年の今頃に思ったこと、意外と忘れがちになっていて2012年の今日ふと思い出したりしました。
愛スル人乃手ヲ放スナヨ。
daisuke